混んでいる電車は“感情”で溢れている

 金曜の夜の電車は混んでいる。

 混んでるだけじゃなく、やたらとうるさい。

 

 模試がめんどくさいと話す学生から、疲れきって首をかくんと落とすスーツ姿の男性、半袖のやたら活力のあるおじいさん……。仕事終わりの人だけを見ても、死んだ目をしている人から、飲みに行くのか遊びに行くのか兎に角元気そうに話す人たちまで様々だ。

 

 わたしはちなみに通院の帰りだった。診察とカウンセリングを受けた後なので、スマホをいじる気力すらなく、たぶん死んだ目をしていたと思う。

 

 耳にまとわりつく話し声だけでも頭がおかしくなりそうだったので、耳栓がわりに肌身離さず持ち歩いているイヤフォンで好きな音楽をかけていたが、そこでふと思ったこと。

 

 きっとこの中にも私と同じように、音楽を聴いたり動画を見たりしている人がいるのだろう。

 

 私はそれを考えた途端にくらっとしたのだ。

 

 ひと車両のうちわずか一角に満たない視界のなかでさえ、それぞれのイヤフォンから流れる音も合わせれば、とんでもない大音量になると気づいて。

 

 そんなことあり得ないから考えなくていいじゃないかって意見ももちろん正しいけれど、私はどうしても、その音の分だけ、なんならそれ以上にここにいる人たちの感情が溢れている車内に疲れて仕方なかったのだ。

 

 誰かはきっと不快な思いをしているし、疲れ切ってそんなことも考えられない人もいるかもしれないし、それを問題ともせず動画に没頭している人もいるかもしれない……。そう考えてみれば、地獄だ。

 

 まぁこんな愚痴を長々と綴ったが、電車の中では静かにしようと、そう心に決めただけの話です。